読む ローマ人への手紙3
ヨハネによる福音書3
エペソ人への手紙2
ヨハネの黙示録21
ヨハネの第一の手紙5
これは救いです。
それは、2,000年前にイエシュアが私たちのために成し遂げたことであり、私たちが今行うことは一切関係ありません。
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救われるとはどういうことか? 救われるということは、死んだ後に神とともに良い場所で永遠に生きるということです。 救われていないということは、死んだ後に神なしで悪い場所で永遠に「生きる」ということです。 だから、救われているかどうかはとても重要なのです。
あなた(そしてすべての人)の大きな問題は、神の基準が100%完全であるということです。 神は、あなたが一度も間違いを犯さないことを求めています。どんな小さなことでもです。(とても高い基準ですよね。) そして、あなたの問題は私の問題と同じです。私たちはその基準を守れていません。
その結果、あなたの罪は神からあなたを永遠に引き離してしまいます。
3,500年前、神はモーセとイスラエルの民に、罪を覆い隠すための仕組みを与えました。 それは、傷のない雄牛や羊を犠牲として捧げることでした。 動物の血が、人が罪を犯したときの罪を覆い隠していたのです。
しかし約2,000年前、神の御子であるイェシュアが地上に来られ、完全な人生を生きられました。 そのため、神は彼の人生を犠牲として受け入れました。 しかし、動物の血とは違い、イェシュアの血は私たちの罪を覆い隠すだけでなく、完全に洗い流すものです。 それを、イェシュアは私たちに「贈り物」として与えてくださるのです。驚くべきことですよね。
つまり、あなたは罪を犯し、神から引き離されました。 しかし、イェシュアは完全な人生を生き、神から離れることはありませんでした。 それなのに、イェシュアは私たちのために死なれました。 その結果、私たちの罪は取り去られ、神との関係が回復されたのです。 これが救いです。 それは100%イェシュアが2,000年前にしてくださったことであり、私たちが今することは0%です。 私たちは救いを「獲得した」のではありません。というより、獲得することすらできません。 (ということは、救いは私たちの行いに基づいていないので、「失う」こともありません。)
ヨハネは、自身の福音書の3章で「イェシュアを信じる者は永遠の命を持つ」と書いています。 彼は、自身の手紙(ヨハネの第一の手紙)の5章でも、こう言っています。 「イェシュアを信じるなら、あなたは永遠の命を持っていると確信できる」と。 死ぬまで待つ必要はありません。すでに知ることができるのです。 あなたの罪はすでに解決されており、あなたはすでに永遠の命を持っています。
ちなみに、聖書の最後の書である「ヨハネの黙示録」を読むと、私たちは天国で「雲の上で竪琴を弾きながら永遠に暮らす」のではないことがわかります。 ヨハネは、神がこの地を滅ぼし、新しい地を造られると書いています。 そこは完璧に造られ、誰も罪を犯さない世界です。 私たちは、そこに住むことになるのです。
では、その場所で会いましょう。
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