いのるの

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ヨハネによる福音ふくいんしょ17
マタイによる福音ふくいんしょ
ヤコブの手紙てがみ
ヨハネによる福音ふくいんしょ14
ルカによる福音ふくいんしょ5:16












それは対話たいわです。 しかし、あなたが聞き入ききいれられる唯一ゆいいつ理由りゆうは、イエシュアのによってるからです。

いのりとは、基本きほんてきかみとの対話たいわです。

それは買い物かいものリストでもなければ、サンタへの願い事ねがいごとリストでもありません。「これがしい… あれもしい…」ではなく、会話かいわなのです。まずは、かみこえみみかたむける時間じかんちましょう。

かみこえ方法ほうほうにはさまざまなかたちがありますが、それはまたべつ機会きかい説明せつめいします。もっと簡単かんたんなのは、聖書せいしょひらき、そこからかみかたってくださるようにいのることです。

には、かみさきはなしてもらうのもよいでしょう。結局けっきょくのところ、かみかみであり、あなたはただの人間にんげんです。自分じぶんくにおう大統領だいとうりょうはな機会きかいがあれば、まずは相手あいてはなしてもらおうとするでしょう?

また、グループでいのるときに、いのりのなかまれた疑問ぎもんほかひとたずねるのも問題もんだいありません。いのりは対話たいわなのですから。

じなければいのれないわけではありません。聖書せいしょてくるいのりの場面ばめんでは、人々ひとびとてん仰ぎ見あおぎみたり、地面じめんにひれしたりしていました。しかし、集中しゅうちゅうするためにじるのが有効ゆうこう場面ばめんもあります(とくにグループでいの場合ばあいなど)。

わたくしは、自分じぶん本当ほんとう関心かんしんのあることだけをいのるべきだとかんがえます。エリヤは「あめらないように」と熱心ねっしんいのり、それはなんねん実現じつげんしました。

もし「いのるべきリスト」があるなら、最初さいしょとおして、そのなかこころのこったものだけをいのりましょう。聖霊せいれいはあなたのうちにいます。聖霊せいれいはあなたのこころかたりかけ、あなたがいのらずにはいられないようにみちびかれます。

かみまえではいつわ必要ひつようはありません。感情かんじょう押し隠おしかくすことなく、正直しょうじき気持きもちを打ち明うちあけましょう。かみはあなたのちちなのです。

パウロは「えずいのりなさい」といました。これにはれるのに時間じかんがかかるかもしれません。いまは、いのりたいとかんじたときにいのればよいのです。あるいは、いのりたくないときこそいのるのもよいでしょう。ただし、いのれなかったことを必要ひつようはありません。

いのりにはおおくの形式けいしき主義しゅぎ存在そんざいします。そのわなにはまらないようにしましょう。

よく人々ひとびといのりのわりに「イエシュアのによって、アーメン」といます。

「アーメン」は「そのとおりです」という意味いみであり、いのりがわったことをほかひとつたえる合図あいずにもなります。

「イエシュアのによって」とうのは、イエシュアが「わたくしによってもとめるなら、ちちがかなえてくださる」とかたったからです。しかし、たんなるめの言葉ことばとしてかたちだけ付け加つけくわえるものではありません。

むかしおうたちはこう文書ぶんしょ自分じぶん印章いんしょうすことで、その命令めいれい正式せいしきなものであることをしめしていました。そして、おう自分じぶん代理だいりにん権威けんいあたえるとき、その印章いんしょうさずけました。その代理だいりにんなんかにおうしるしせば、それはおう命令めいれいおなおもみをちました。

イエシュアが「わたくしによってもとめなさい」とったのは、これとおなじことです。わたくしたち自身じしんには、かみなんかをもとめる権利けんりはありません。しかし、イエシュアがその権利けんりわたくしたちにあたえてくださったのです。だから、「イエシュアがうように、わたくしむすめいやしをねがいます」といのることができるのです。

しかし、これをたんなる魔法まほう言葉ことばのようにあつかひともいます。わたくし時々ときどき意図いとてきいのりのなかで「イエシュアのによって」とわないことがあります。ただし、こころなかでは「わたくしかみ聞き入ききいれられる唯一ゆいいつ理由りゆうは、イエシュアのによるものだ」とっています。

また、いのるときにこえのトーンや態度たいどえるひとがいますが、そんな必要ひつようはありません。ありのままではなせばよいのです。

沈黙ちんもくがあってもにしないでください。それは対話たいわなのです。いのりのなかで「ぬしよ」をなん繰り返くりかえひともいますが、それであいだめる必要ひつようはありません。わたくしはそれがすこになりますが、イエシュアはわたくしよりも寛容かんようでしょう。

自分じぶんいのりを録音ろくおんして、あとで聞き返ききかえしてみるのも練習れんしゅうになります。

最後さいごに、いのらなくてもよいこともあります。

たとえば、かみは「食べ物たべものまい、衣服いふく保証ほしょうする」とわれました(マタイ6しょうんでください)。それは「ねがえばあたえられる」ものではなく、どもがおや信頼しんらいするように、当然とうぜんあたえられるものです。

また、「かみともにいてくださるように」といのひともいますが、かんがえてみてください。聖霊せいれいはすでにあなたのうちんでいます。かみがあなたとともにいないはずがありません。

このようなことはにもあります。さがしてみてください。

あなたがかみ聞き入ききいれられる唯一ゆいいつ理由りゆうは、イエシュアのによっていのるからです。

みちびかれるままに、できるだけ頻繁ひんぱんいのりましょう。できるだけこえしていのりましょう。自分じぶんのためよりも、ひとのためにいのりましょう。仲間なかまともいのりましょう。そして、いのつづけましょう。

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